東方神起 韓国 「2007 Winter SMTOWN」参加

2007年12月7日

「SMTOWN」とは毎年夏と冬(※)にSMエンターテインメントの所属アーティストが集結するコンサート、およびSMTOWN名義で発表するオムニバスアルバムのことである。

※実施されない年や季節もある。

2007年の冬は、コンサートはなくアルバム発表のみが行われた。

収録曲

・Only Love ※全アーティスト共同
・Evergreen ※東方神起単独
・ヨヘンギ(旅行記)※東方神起単独

Only Love

『Only Love』は全アーティストが合同で歌うリード曲。

東方神起、BoA、KANGTA、天上智喜、SUPER JUNIORなどお馴染みのアーティストたちに加え、デビューしたばかりの少女時代も参加した。

Evergreen

東方神起が歌う「Evergreen」はピアノのアルペジオにギターと弦楽器の旋律がマッチして、Mickyユチョンの二回目の作曲であり、MAXチャンミンが初めて作詞に挑戦した歌であるだけにファンにとって更に特別なプレゼントになるだろう。

PRODUCTION (smtown.com) (SMエンターテインメント公式HP)

『Evergreen』はメンバーが作詞作曲をしたという点が意義深い。

チャンミンが作詞をした曲のリリースは当作が初めて。

ユチョンが作詞作曲をした作品はこれまでに何度も発表されており、ユンホやジュンスが作詞作曲をした作品も発表されたことがある。

一方、ジェジュンだけはこの時点で作詞や作曲をした作品が未発表であった。

旅行記

上記の新曲に加え、2007年9月にオンラインで公開されていた『ヨヘンギ(旅行記)』がボーナストラックとして収録された。

東方神起の作詞作曲活動

『Evergreen』によって、ジェジュン以外の全員が作詞あるいは作曲を手掛けた作品が公開されたことになる。

しかしジェジュンもこの時期すでに作詞作曲に取り組んでいた。

ジェジュンは、東方神起は、どのように曲作りを始めたのか。後に数多く発表される自作曲が生まれたルーツを、ここで振り返ってみよう。

作曲の練習

メンバーらが作曲に取り組んでいることを明かし始めたのは、2006年の前半頃からである。

最近、みんなで作曲の練習を始めました。(チャンミン)

キッカケは特になくて、ただ音楽が好きだから。(ユチョン)

ひとり2~5曲ぐらいずつ作ったんですけど、けっこういい曲ができてるんですよ。(ユンホ)

雑誌「JUNON」2006年4月号

最初に曲を作るようになったのは日本に来たばかりの頃で。その当時はあまり仕事もなかったので、時間もあって暇だなぁって思っていたんです。それで機材を少しずつ買って、始めたんですけど。(ユチョン)

雑誌「B-PASS」2009年11月号

メンバーらが来日したのは2005年。おそらく2005年頃から全員で作曲の練習をし始めていたのだろう。

上記の引用を読むと、日本に来たから、日本でだけ作曲を始めたという風に読み取れかねないが、実際には彼らは日本だけでなく韓国でも作曲に取り組んでいた。

宿舎の作業部屋

2006年のDVD『All About 東方神起』には、メンバーらが韓国の宿舎で曲作りをする作業部屋を紹介するシーンがある。

ミュージシャンの作業部屋と言えば、独りで集中できるような防音設備のある個室を思い浮べることが多いだろう。

しかし彼らのは一見して普通のマンションの居住用の部屋で、それぞれが自分の機材や楽器とそれを置く机と椅子を持ち込んで配置している。

ユンホとジェジュンとユチョンで1部屋、ジュンスとチャンミンで1部屋を共同で使っていたようだが、かなり手狭で顔を上げれば隣のメンバーとすぐに会話できる距離感だ。

日本に戻ってくる時、作曲の機械とかキーボードを全部持ってきました。(中略)でも、実はまだプログラムの問題があるみたいでつながらないので、調整が終わったらいろいろ曲を作りたいなぁと思っています(ユンホ)

雑誌「ARENA37℃」2007年9月号

機材や楽器を韓国から日本に持ち込むのは大荷物で、上記のユンホの場合はカバンだけでも4つに上ったという。

楽曲の完成と発表

まずは機材を少しずつ買い揃え、宿舎で作曲の練習をし始めた東方神起。

2006年の始めには、さっそく曲が完成し始めた。

僕の作曲が最近完成したんです!(ユチョン)

――ユチョンはたくさん曲作ってるでしょ?

はい。でも、ちゃんと完璧に仕上げたんです!3曲くらい出来ましたよ。本当にいい曲なので、早くみんなに聴かせたいです。いつか東方神起の曲としてリリース出来たらいいなと思ってます!(ユチョン)

僕も1曲完成しましたよ!曲が出来た瞬間は本当に嬉しいし、ピアノを弾いているときと作曲をしているときは本当にいつも楽しいです!(ジェジュン)

雑誌「mint’s」2006年1月号

頑張って歌詞も書きたいと思います!日本語の歌詞も頑張って書けるようになったらいいですよね!頑張ります!(ジェジュン)

雑誌「mint’s」2006年1月号

この「mint’s」のコメントは、インタビュー時は2005年だったと考えられるが、当時はまだ作曲だけで歌詞は付けられていなかったとのこと。

しかしメンバーらが作詞を完成させるまで、さほど時間はかからなかった。

デビュー前から作詞をし、作曲の数も多かったユチョンは最も早く、2006年の始めに『ヨウビ(日照り雨)』(作詞作曲)、同年夏に『クリゴ…(Holding Back The Tears)』(作詞)を発表。

続いて2006年の秋、ジュンスが『君のそばにいられたら(White Lie…)』(作詞作曲)を発表した。

2007年初めにはユンホが『Spokes Man』(作詞作曲)を発表。

メンバーらのこのような作詞作曲活動は、仕事として時間を割くのではなく、プライベートで作った曲をスタッフに見せて、良く出来たものが採用されていたようだ。

年中忙しい東方神起だったが、彼らの作曲熱は2007年に入っても継続した。

最近、寝る時間はあるけど、寝ないんです。作曲をしてるから。

(中略)寝たいですけど、一回始めたら止まらないんです。今日は3時間だけと思っていても5~6時間はすぐに過ぎちゃいます。ホント面白い(ジェジュン)

書籍『SHINE 2nd Artist Book From TOHOSHINKI』2007年

最近は機材に興味があります。

作曲をするためには機材をうまく扱わないといけないので、早く機材に慣れたら嬉しいです(ジェジュン)

雑誌「SPECIALIST INTERVIEW MAGAZINE: S」 2007年7月号 当サイト訳

今でも作詞は大好きで。ただ今年になって作曲をする比重が多くなっていて。毎日朝5時~6時まで作曲しています(ユチョン)

書籍『SHINE 2nd Artist Book From TOHOSHINKI』2007年

寝る間も惜しんで作曲しているという、ジェジュンやユチョンのこれらのコメントは、2007年夏、日本活動に集中し韓国活動が比較的少なかった時期のもの。

国際移動が少なかったため、睡眠時間が犠牲になるとはいえ、作曲に取り組む時間が取れたのかもしれない。

一歩先を行くユチョン

東方神起の作詞作曲活動を振り返る上で、キーパーソンとして外せないのがユチョンの存在だ。

ユチョンはデビュー前から作詞とピアノに親しんでおり、他のメンバーにはない音楽の知識を持っていた。

曲については5人とも勉強してますけど、その中でも(ユチョンは)すごく勉強してて、聴く音楽ジャンルも広いし。(ユンホ)

すごく刺激を受けてます。(ジュンス)

雑誌「NEWSMAKER」2007年3月号

――そういえばジェジュンはユチョンにピアノを教えてもらったんだよね。

はい。最初ユチョンが先生でしたから(ジェジュン)

いや、でもジェジュンは僕よりもっと早かったです。覚えるのが早い。それに、曲を作るときでも、ピアノを弾きながら、いいメロディラインを探し出すのが上手いんですよ(ユチョン)

雑誌「ARENA37℃」2009年10月号

メンバーらが曲を作る時、出来た詞やメロディを互いに聴かせて感想を伝え合っていたことは、後年のインタビューで度々明かされている。

こうしたシーンでユチョンが与える影響は小さくなかったであろう。

練習生になったばかりの時は、友達もいないし、寂しい気持ちが大きかったです。(中略)愛するものが欲しかった時、僕に力をくれたのは、作曲でした。もちろん、音楽自体はそれ以前から好きだったんですけど、その頃、作曲を始めたことが自分の気持ちを大きく変えていきました。(ユチョン)

雑誌「ARENA37℃ Special」Vol.34 2007年

ユチョンのコメントから察せられるのは、彼は作詞やピアノだけでなく、作曲を始めたタイミングも他のメンバーより早かったということだ。

(デビュー前に)アメリカにいるときから作詞をするのが大好きで、学校をさぼってはひとりでどこかに行って、詩を書いたり、作詞をしたりしていました(笑)。(ユチョン)

書籍『SHINE 2nd Artist Book From TOHOSHINKI』2007年

アメリカにいた時にお母さんが大好きなピアノ曲があったんです。それで、その曲をお母さんに聴かせたくてピアノを練習したんです。(ユチョン)

(中略)ユチョンがその時練習したから、自分もピアノが弾けるようになりました。(ジェジュン)

雑誌「ARENA37℃」2009年10月号

ユチョンとピアノと言えば、『Begin』の弾き語りを思い起こすファンは多いかもしれない。

ピアノを弾くユチョンの周りにメンバーらが集まる光景が、実際に宿舎でもあったと考えてもおかしくはないだろう。

ユチョンの言葉を追うと、彼は曲作りとピアノに関して独特な感性を持っていたことがわかる。

――作曲をするようになったことで、どういうふうに変わったの?

心が整理できるというか、自分の心とかその時の考えを表現できるようになりました。(中略)作曲もそうだし、ピアノもそうですね。やっぱり僕の音楽との強い結びつきは、ピアノから始まっています。(ユチョン)

雑誌「ARENA37℃ Special」Vol.34 2007年

実はメンバーとか友達に言ったら“それは、おかしいよ”と言われたことがあるんですけど、ホントにピアノが僕に話す感じがあります(ユチョン)

雑誌「ARENA37℃ Special」Vol.34 2007年

『Evergreen』は、ここまで述べてきたようなユチョンの素質とメンバーとのコラボレーションが形になった作品といえる。

ジェジュンの作品が世に出る日も、実はそう遠くない。

『Evergreen』から約1か月後、日本の3rdアルバム『T』でユチョンとの共作『Kissしたまま、さよなら』がリリースされ、初めて作曲者としてジェジュンの名がクレジットに載るからだ。

試聴 (Apple Music)

トラック1番が『Only Love』、3番が『Evergreen』、12番が『ヨヘンギ(旅行記)』である。

CD

DVD

SMエンターテインメントの公式DVD“All About”シリーズの第一弾。メンバーらが宿舎を紹介する映像が収録されている。

書籍

『SHINE』は写真集とインタビューが一体になった公式アーティストブック。

雑誌

「mint’s」2006年1月号

音楽雑誌mint’s(ミンツ)のこの号は、当サイトが確認できた中では、メンバーらが作詞作曲について語った最も古い資料。インタビューは2005年に行われたと考えられる。

「SPECIALIST INTERVIEW MAGAZINE: S」 2007年7月号

SMエンターテインメント発行の韓国の雑誌。通称“S Magazine”または“Magazine S”。

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