2007年9月22日
アジアソングフェスティバルは韓国文化産業交流財団が主催する音楽イベント。毎年、韓国だけでなく日本や台湾などアジア圏から歌手を招いて開催される。2007年はソウルワールドカップ競技場(通称“上岩ワールドカップ競技場”)で開催された。
母国へ伝えられる日本活動
2007年2月のアジアツアー「O」ソウル公演を最後に、東方神起の活動の中心は日本へと移っていた。
母国を離れて活動している間、彼らの動向は断続的に韓国へもたらされていた。
そのタイミングは、例えば武道館ライブやa-nation ’07など、エイベックスが多数のメディア取材を受け入れるイベントの時だ。
こうした機会に、SMエンターテインメントは東方神起のライブ写真やオフショットを自社の雑誌に特集。M-net(音楽系ケーブルテレビ)は、メンバーらの韓国向けのコメントや舞台裏の密着映像を流したりした。
また、東方神起が日本でリリースしたCDはSMエンターテインメントによって韓国にも持ち込まれて公式販売された。
さらに、2007年の半ばから東方神起のオリコンチャートの順位が目に見えて上がると、それらは芸能ニュースの見出しとなって目を引くようになった。
オリコンチャートの朗報
直近にリリースした『Lovin’ you』、『SUMMER〜Summer Dream/Song for you/Love in the Ice〜』、『SHINE/Ride on』の3作は、連続してオリコン週間チャートの2位を記録。
芸能メディアは“日本列島を占領”“トップシンガー浜崎あゆみに惜敗”などと、まるで海外で活躍するスポーツ選手のように快挙を報じた。
もちろんこうした好成績はメディアだけでなく、メンバーたち自身にとっても嬉しいものだった。
デイリーランキング1位と聞いて、全員ですごく盛り上がって。みんな韓国の家族に電話したり。すごく嬉しかったです。(ユチョン)
雑誌「oricon style」2007年10月1日発行
続いて2位を取れて、本当に幸せでした。日本に来てから感じていた不安も無くなって。(ジュンス)
雑誌「oricon style」2007年10月8日発行
メンバーらのコメントからは、彼らが日本社会の中で過ごしていながらも、母国を意識し良い報せを届けたいと思っていたことがわかる。
韓国ファンの渇き
東方神起が活動の軸足を日本に移す前までは、韓国のファンは地上波で彼らの姿を頻繁に見ることができたし、テレビ番組用のライブやスタジオ観覧など、直接会いに行ける機会も少なくなかった。
それが無くなってからは、遠く離れた日本でリリースされるトンバンシンギではないトウホウシンキの歌を聴いて、彼らに想いを馳せていたことだろう。
母国で待ち続けるファンの熱量は、アジアソングフェスティバルを数日後に控えたタイミングで現れた。
(東方神起が)国内活動をしばらく抑えていたせいでその人気が停滞していないかという恐れを吹き飛ばす事件が発生した。
(9月)16日、ソウルアンコール公演 “東方神起 The 2nd ASIA TOUR CONCERT “O” – SEOUL ENCORE”が前売り開始と同時に30万人以上のアクセスが一度に集まったせいでわずか2秒後にサーバーがダウンするハプニングが発生したこと。
雑誌「SPECIALIST INTERVIEW MAGAZINE: S」2007年11月号 当サイト訳
2007年2月のアジアツアー“O”のソウル公演以来、韓国で久しぶりの単独公演が、2007年10月のソウルアンコール公演。そのアンコール公演のチケットを手に入れたいファンたちが、9月16日の発売開始に一気に集中したというわけだ。
“ファンたちは東方神起に喉が渇く”――雑誌「S Magazine」は当時の様子をそう表現した。
アジア各国からアーティストが参加
アジアソングフェスティバルは2004年に始まった韓国の音楽イベントで、アジア各国から人気歌手を集めて開催される。
東方神起は2004年から毎年出演しており、日本からは過去には浜崎あゆみ、相川七瀬、後藤真希、嵐、倖田來未の出演実績があった。
2007年の出演者は次の通り。
韓国 イ・ヒョリ、sg WANNA BE+、SUPER JUNIOR、東方神起
日本 倉木麻衣
中国 ヴィッキー・チャオ
台湾 A-mei、 F4
他、香港、フィリピン、ベトナム、タイ、インドネシアからも参加
開催当日はちょうど秋夕(チュソク)の連休。チケットは無料で、ワールドカップ競技場には5万人程度の観客が入る。
そこで、東方神起を始めとする人気歌手たちを見るために、ソウル近郊だけでなく全国から人々が集まった。
カシオペアの集結
この時のニュース映像を見ると、若者や家族連れなど大勢の人々で賑わう中に、赤い風船を持った人々がかなりの割合を占めていることが分かる。
赤い風船は、赤いペンライトと同じくカシオペアの象徴だ。
東方神起は2007年は海外活動に集中する年だっただけに、国内で明確な活動をすることができなかったのは事実。にもかかわらず、東方神起に対するファンたちの愛は相変らず熱い。9月22日に開催された第4回アジアソングフェスティバルでも確認することができた。 (中略)断然引き立って見えた上岩ワールドカップ競技場をいっぱい埋めた真っ赤な波がその証拠だ。
雑誌「SPECIALIST INTERVIEW MAGAZINE: S」2007年11月号 当サイト訳
公演が始まる頃には夜になっていた。
各歌手のステージが終わり、最後に東方神起の出番がやってくると、赤いペンライトが一斉に点灯し始めた。
東方神起のステージ
東方神起の一曲目は『Rising Sun』。おなじみの代表曲でメンバーらがステージに姿を現わすと、スタジアムは大歓声に包まれた。
これ以前の歌手たちのステージも盛り上がってはいたのだが、東方神起が現れたときの凄まじい歓声、そして無数の赤いペンライトを目の当たりにすると、もはやここは単独コンサートなのかと思えてしまう。
この日の東方神起の持ち時間は20分余り。「S Magazine」によれば、デジタルシングルとして発表したばかりの新曲『旅行記(ヨヘンギ)』を披露したという。
また『I Wanna Hold You』は東方神起らしいコーラスが美しいバラード。ここに韓国ファンの大合唱が重なって作り出される一体感は、メンバーらに母国の感触を味わわせるのに十分だったのではないか。
MCで赤いペンライトの海を見渡し、微笑みながら語るジュンスの言葉は、韓国ファンの気持ちに応えるものだった。
真っ赤な風船はいつ見ても気持ちが良いです。 最近日本活動のため韓国のファンたちとしばしば会えなかったのにもかかわらず、いつも応援してくださって感謝しています。 皆さんの励ましのおかげでここまでくることができたみたいです。 はやく韓国で良い舞台をお見せすることができたらいいなと思います。(ジュンス)
第4回アジアソングフェスティバル 2007年9月22日 当サイト訳
また、アジアの音楽的交流を目指すというイベントの趣旨を踏まえ、ジェジュンは韓国以外のファンをも気遣うコメントを残した。
音楽でアジアが一つになる時間になったらいいなと思います。 最後まで一緒に楽しみましょう。(ジェジュン)
第4回アジアソングフェスティバル 2007年9月22日 当サイト訳
最後は、前年度に数多くの音楽賞を受賞した『“O” -正・反・合』で華やかにステージを締めくくった。
かくして秋夕の休日に多くの韓国ファンへ幸せを届けた東方神起だったが、彼ら自身は休んではいられない。
翌日には日本でライブ(PREMIUM MINI LIVE)が控えている。そのため、彼らはすぐに日本へと飛び立っていった。
雑誌
「SPECIALIST INTERVIEW MAGAZINE: S」 2007年11月号
SMエンターテインメント発行の韓国の雑誌。通称“S Magazine”または“Magazine S”。アジアソングフェスティバルに出演した東方神起のライブレポートが掲載されている。
「JUNIOR」 2007年11月号
韓国の芸能雑誌。東方神起は全13ページにわたって掲載。アジアソングフェスティバルの詳細なライブレポートやアジアツアーの経過などが綴られている。
「K BOOM」 2007年12月号
韓流を扱う日本の雑誌。アジアソングフェスティバルの記事があり、東方神起の写真が掲載されている。
音楽でアジアがひとつになる時間になるといいってジェジュンらしい言葉。東方神起がすごい人気である事を証明したアジアソングフェスと共に記憶しておきたいです。