韓国のアーティストが生きる世界(2)パリパリとスペック

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ナムジンとナフナ

競争や順位付けというゲームが一体なぜ支持され続けるのか――歌手たちの“ライバル対決”の源流をたどると、その歴史は想像以上に長いことがわかります。

1970年代、ナムジン(南珍)とナフナ(羅勲児)という二人のトップスターがいました。

当時はトロットという演歌に似たジャンルが親しまれていた時代。

ナムジンはトロットにダンスを取り入れて「踊るトロット歌手」と呼ばれ、テンポの速い楽しい雰囲気の歌を中心にヒットを連発していました。

一方ナフナは「トロットの帝王」と呼ばれ、ナムジンとは対照的な穏やかで郷愁漂うスタイル。

自分自身でも盛んに作曲をして、やはりヒットを連発していました。

同世代のナムジンとナフナは意図的にライバル関係を演出し、新曲をあえて同時期にリリースするなどして大衆の注目を集めるようになりました。

二人はお互いを意識しながら競争するように歌を発表し、リサイタルステージを開催した。ライバルという言葉にふさわしく張り合い、抜きつ抜かれつの競争が繰り返された。

歌手王の座をめぐって激しい神経戦を繰り広げ、加熱した雰囲気に乗じて噂が引き続き生まれ広がっていった。そして、彼らの激しい競争にふさわしいヒット曲が次々と現れ出た。

(中略)彼らが一緒に立つ舞台にはファンが半分に分かれて数字で優位を占めようとし、両者が争うことも日常茶飯事だった。

キム・ハクソン『K-POP世界を魅了する – 1970年代から現在まで韓国の大衆音楽を作った人々』2012年 P87 当サイト訳

不動の人気を誇る二人は、当然年末の授賞式でも大賞候補となりました。

例えばTBS放送歌謡大賞(今のKBS歌謡祭)では、1971年にナムジンが大賞、1972年にナフナが大賞、1973年にはまたナムジンが大賞。

二人はライバル対決によって全盛期を迎えるだけでなく、それまで停滞していた韓国の歌謡界を活性化させ、若い世代にもファンを広げたといわれています。

特に南珍の女性ファンたちは、年上の南珍を「オッパ」と呼んだ。韓国語で「お兄さん」を意味するこの言葉だが、実際の「兄」以外にも女性が年上男性に親しみを込めて使うことが多い。

だが、現在のK-POPファンのように「オッパ」という言葉を歌手の「推し」に対して使うようになったのはこの頃からである。

山本浄邦『K-POP現代史 ―韓国大衆音楽の誕生からBTSまで』2023年 P52

このように、歌手たちが対決しそれをファンが推す文化は、K-POPアイドルの登場よりもはるか前の時代から存在していたことが分かります。

このことは、音楽番組におけるランキング制度が単なる流行ではなく、韓国の人々にとっての音楽という国民的な感性を体現しているといえるでしょう。

その国民的な感性を少しでも理解するためには、一度音楽という枠を外して人々の生活文化を眺めてみる必要があるかもしれません。

韓国経済の発展と停滞

韓国の世相を左右してきた経済事情をここでざっくりと振り返ってみましょう。

韓国が国連で先進国に認定されたのは2021年のことですが、近年では世界のGDPランキングで継続して10位前後をキープしているように、経済力の高さが世界的に認知されています。

朝鮮戦争直後の1950年代は国民生活が困窮を極めていましたが、1960年代後半から外国資本を導入して工業化を進め、ベトナム戦争の特需も重なったことで「漢江の奇跡」と呼ばれる高度経済成長が始まりました。

「漢江の奇跡」は1970年代まで続き、1965年~1975年の10年間でGNPが14倍になるという凄まじい成長ぶり。ナムジンやナフナが活躍していたのがこの頃にあたります。

しかし1980年代後半からは賃金上昇により経済成長に徐々にブレーキがかかり、1997年には朝鮮戦争以来最大の国難といわれるアジア通貨危機(通称“IMF危機”)に見舞われました。

IMF危機とは、ウォンの暴落で韓国の対外債務がデフォルト寸前となりIMF(国際通貨基金)の介入を受けた事件のこと。これにより韓国の経済は深刻な危機に瀕し、大量の倒産・失業が発生しました。

その後、財政再建と規制緩和によって2000年代に入ると経済は安定を取り戻しましたが、規制緩和は結局は(どの国でも同じですが)生き残れる競争力のある大企業とふるい落とされる中小企業に分かれることになります。

それゆえ2000年代からは、サムスンなど成長を続ける少数の財閥企業と、財閥ほどの体力を持たない中小企業との間で“勝ち負け”が二極化し、貧富の差が拡大しました。

この傾向は2020年代の現在も続いており、国全体のGDPは先進国に認定されるまでに成長したものの、雇用難や所得格差が大きな社会問題となっています。

ミレニアル世代の不安

ジェジュンや、ジェジュンの韓国のファン層は大部分がミレニアル世代(1981~1995年生まれの世代)です。

ミレニアル世代は、日韓どちらにも言えることですが、経済の停滞期に育ったため、現在から将来にかけての経済状況に悲観的な見通しを持つ傾向があるといわれています。

両国の差を探ってみると、日本では“さとり世代”が、社会に対する冷ややかな諦めをベースに現状満足型の幸福を追求。

一方、韓国のミレニアル世代は、「ヘル朝鮮」「三放世代」という流行語にみられるように、社会の現状に深く憤っているとされています。

日韓のミレニアル世代のこうした受け止め方の差異には、やはり経済事情が関係しているようです。

日本では老後は年金に頼るとか、若いうちは実家の親を頼る、どうしようもなくなったら生活保護という発想がある程度は浸透しています。

このようなセーフティーネットは現実には多くの問題点を抱えているものの、それなりの機能は果たしていて、かえって80-50問題のように年金受給世代にその下の世代が依存する問題が起きたりしています。

一方、韓国はどうでしょうか。

再分配を支えていた親族共同体が崩壊しつつあること。これは重要だ。過去には金持ちの親族が援助をしてくれたのだが、最近は何もしてくれない。

(中略)日本のような「逃げ切り世代」はまだできていない。年金制度は歴史が浅く、韓国の高齢者自殺率は世界一、高齢者の約半数が貧困であり、それを支えるすぐ下の中高年もしんどい。

伊東順子『韓国 現地からの報告 ―セウォル号事件から文在寅政権まで』2020年 P48

韓国で国民年金や国民皆保険が実現したのは1980年代の終わり、生活保護が開始されたのが2000年頃。

経済発展よりもかなり遅れて社会保障が整備されたため、ミレニアル世代は親世代を頼ることができません。

その結果、雇用や格差の問題がより深刻に受け止められ、同時に落伍したくない、勝ち残りたいという気持ちが強くなるというわけです。

受験へ向かう10代

韓国の音楽事情をひも解くための鍵は、アイドルファン層である10代の生活様式です。

韓国の10代の主要な関心事と言えば受験。

先に雇用難について触れましたが、収入の安定した大企業や正社員は狭き門であるゆえ、そこに入るための就職活動だけでなく、子どもの頃から受験に向けた競争がスタートします。

「周りがみんな塾に行くから、合わせるしかないんです。小学生のうちに中学校の勉強をすべて終えて、中学生になったら高校の勉強をすべて終える。韓国で勝ち残るためにはそれが基本です」

「じゃあ高校では何をするんですか?」

「受験勉強とスペック集め(校外コンクールでの受賞、TOEFLのスコア、ボランティア点数など)です」

伊東順子『韓国 現地からの報告 ―セウォル号事件から文在寅政権まで』2020年 P200

韓国の人々の受験熱の高さは日本でもよく報道されていますね。

名門大学に入るためには、試験対策ももちろん必要ですが、2000年代以降はAO選考の比重が高くなっているので、内申点で各学科の満点を目指すほか、学外活動の実績を揃える必要があります。

エリムたちは競いあうように、朝から晩まで勉強に明け暮れた。朝9時に授業が始まり、夕方5時か6時まで続く。簡単な夕食をとると、だいたい夜11時まで机に向かった。

「勉強が一番ストレスだった…それに、本当に良い大学に行けるかわからない不透明さと…」と、エリムはいう。

朝比奈祐揮『格差―ミレニアル世代の経験から考える』(緒方義広・古橋綾 編『韓国学 ハンマダン』2022年 収録)

ミレニアル世代は現在おおむね30代ですが、彼らが10代の頃も、受験をめぐる競争はすでに熾烈なものでした。

同じ構図が現在の10代であるZ世代にも続いています。

パリパリ精神

ここまで述べた韓国の社会情勢は、日本人の感覚からすれば、生き抜くのが非常に大変だという印象を受けることでしょう。

韓国の人々は一体どのような感覚を持ちながら、自身をとりまく環境に適応し生活しているのでしょうか。

この問いは掘り下げれば文化論であり、視点によって様々な答えができると思いますが、ここでは一般的によく語られる2つの価値観を取り上げてみましょう。

一つ目は「パリパリ」と呼ばれる、新しい物事をいち早く取り入れ適応する進取の精神。

「早く(急いで)」という意味の韓国語「パリ」が語源です。

朝鮮戦争後、経済的に急成長を遂げた韓国では、人々も新しい物事を受け入れることに抵抗がないですし、何事も素早く理解して消化するパリパリ文化があるのはたしかです。

(中略)私の父の世代は『パリパリ』さえしていれば食べていけましたが、私たちの世代(1980年代生まれ)では『パリパリ』は当たり前で、そこにさらに完成度が加わってこそ食べていけます。

田中絵里奈『K-POPはなぜ世界を熱くするのか』 2021年 P15

パリパリ精神は、受験に向けた先取り学習ももちろんそうですが、ビジネスの世界でもよく目にすることができます。

例えば飲食業界やファッション業界では、一つヒットが生まれると瞬く間に模倣店や模倣品が生まれ、業界がその流行一色になります。

流行が落ち着いたと見るや撤退も早く、すぐさま次の店、次の商品へと様変わりします。

人よりも早く成し遂げようという「パルリパルリ(パリパリ)」の気質です。勉強も同じで、まずはとりあえずやってみる、人よりも早く取り組んでおきたい、となります。(徐相箕国会議員)

岩渕秀樹『韓国のグローバル人材育成力 ―超競争社会の真実』 2013年 P143

アイドル自身からも「変化すること」への意識は垣間見える。新曲発表時のインタビューなどでK-POPアイドルはよく「新しい姿をお見せできるように努力します」という言葉を口にする。

こういうとき日本では普通「新しい姿」といったりしないように思うが(日本なら「○○○(グループ名)らしさを出します」というだろう)、K-POP界では定型表現になっている。

(中略)韓国では「常に変化すること」がファンの心を満たす大きな価値の一つなのだ。

田中絵里奈『K-POPはなぜ世界を熱くするのか』 2021年 P17

「パリパリ」は国民感覚を表すポピュラーな言葉の一つですが、性急すぎる面への反省に使われることもあります。

この長短両面の意識は現代のK-POP業界にも当てはまり、ただ流行や新しさを追求するのではなく、クオリティを最大限高めてこそ大衆に支持されるといわれています。

スペック積み上げ

二つ目は「スペック」という言葉が象徴する価値観です。

「スペック」は元々は仕様書を意味するspecificationの略語ですが、求職者や志願者の学歴、学点、TOEFLスコアなどをまとめて指す言葉として使われています。

大企業に入るには、各学期の成績は、上位のA以上を維持しなければなりません。実際、男性も試験の時期になると長い時で2週間ちかく、ほぼ寝ないで準備をしたといいます。

加えて男性は在学中、アフリカで子どもたちを支援するNGO活動、ソウル高等裁判所でのインターン、政党傘下の研究所での研究補助、日本の京都大学への留学といった「スペック」を必死に積み上げていきました。

高学歴でも就職できない 厳しさ増す韓国就活事情 | NHK | WEB特集 | 国際特集

就活学生がここまで必死になるのは、スペックが不足していると競争が激しいために足切りされてしまうから。

しかし、そもそも企業が人を評価する際に過程よりも結果を重視している点も見逃せません。

選抜においても、日本の大企業が重視するとされる「コミュニケーション能力」などの、応募者の将来的な可能性をはかるための曖昧模糊とした指標ではなく、大学の成績、英語試験のスコア、インターンや海外留学の有無など具体的な数字や業務に関連した経験が重視される傾向にある。

朝比奈祐揮『格差―ミレニアル世代の経験から考える』(緒方義広・古橋綾 編『韓国学 ハンマダン』2022年 収録)

一般的に企業にとって、学点、スペックは応募学生の『誠実さ』を評価する最低限の指標である。

面接を重んじているので外形的スペックはあまり信用しないよ、と言う大企業の人事担当者は多いのだが、競争が激しいので学生は必死である(科学技術人材政策課長)

岩渕秀樹『韓国のグローバル人材育成力 ―超競争社会の真実』 2013年 P133

採用に限らずビジネス上の評価でも同じことで、業績悪化や不祥事などを理由に責任者が罷免されるスピードが早く、結果として責任者がころころ変わる現象がよくみられます。

日本が一つの物事を進めるのに、多くのプロセスを経て、なるべくリスクを避けながらプロジェクトを動かすのに対して、韓国はそのプロセスがない代わりに、リスクを背負って、新しいことに対して、とにかく早く取り組むという、ビジネスの姿勢そのものが根本的に違うので、単純にどちらが良いかという比較はできません。

(中略)とはいえ、そのリスクは、組織内においてより責任を問われる環境を生み、離職率の高さからもわかるように、成功、結果が全てという問題を生み出しているのです。

古家正亨『K-POPバックステージパス』2022年

K-POP界でいえば、音楽番組の1位もスペックの一種といえるでしょう。

実際、大手企画会社のHYBEやSMエンターテインメントは、所属アーティストの音楽チャート1位を決算書(有価証券報告書)に載せています(毎回ではありませんが、しばしば載せています)。

つまり1位という結果は投資家に好印象を与えると、企業が認識しているということですね。

ちなみに日本の音楽系上場企業で決算書に所属アーティストの1位を載せている企業はあまりないように思います。(少なくとも私は見たことがないので、もし見たことがある方がいましたらぜひ教えてください)

近世以前の伝統

ところで、「パリパリ」や「スペック」は果たして最近の世代に特有の現象なのかという疑問を持たれた読者の方がいらっしゃるかもしれません。

確かにこれらは現代的な言葉でありますが、新たな物事を積極的に学ぶ進取性や、学位や点数が社会的評価となるという意味では、近世以前の科挙制度との結びつきが指摘されているのは有名です。

なぜ韓国人が勉強するのかといえば、韓国が、文人、両班の社会であったためである。すなわち、勉強をして初めて社会的に認知される社会である。

たとえお金が無くとも、勉強する者は尊敬され、自負心が満たされる(SKグループに勤務する技術者)

岩渕秀樹『韓国のグローバル人材育成力 ―超競争社会の真実』 2013年 P90

つまり中世の王朝時代から人々の中で培われてきた「学問や教育こそが立身出世への道だ」という伝統文化が、現代では「パリパリ」や「スペック」という概念にアップデートされ、競争社会を生き抜く信念の土台となっているということです。

アーティストへの共感

話を音楽に戻しましょう。

音楽番組のランキングやライバル対決が視聴者に支持され、1位を目指して努力するアーティストの姿が共感を集める理由は、ここまでの考察から見えてきたと思います。

音楽に親しむ視聴者がファンになっていく時、そこには多くの場合アーティストが日々何かを求めて葛藤したり、しなやかに適応・変化する過程で生まれるストーリーがあることでしょう。

そこで今度はK-POPアイドルが企画され活動するプロセスや業界構造に目を向け、アーティストが日々置かれている環境や向き合っている状況についてみていきましょう。

韓国のアーティストが生きる世界(2)パリパリとスペック」への1件のフィードバック

  1. なすびさくら さんの発言:

    ジェジュンが韓国に居るとはやいのが当然のサービスで日本ではしばらくすると慣れるけど、来た直後はゆっくりだなって思うって、どこかで言っていたような気が。
    パリパリ文化とても興味深いです。

    返信

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