2001年9月(※)
※ジェジュンがSMの練習生になった日が9月の何日であるかは不明ですが、活動年表では便宜上9月30日としています。
オーディションに合格
2001年9月、SMエンターテインメントが主催する「第2回SMベスト選抜大会」のスタイルトップ部門で、ジェジュンは1位に選ばれた。
アーティストになるためのオーディションに行ったとき、全部歌い終わったら、“ハイ、そこまで。お疲れ様。後で連絡します”と言われました。“あーこれはダメだったんだ”って思いました。そう思いながら出口を出たとき(中略)、言葉では表現できない気持ちでした。
ダメだと思いましたが、運がありました!連絡が来ました。“合格しました”って。ホントに嬉しかったです。その気持ちも忘れられません。
雑誌「ARENA37℃」2007年4月号
オーディションでジェジュンが歌ったのは愛国歌(大韓民国の国歌)。オーディションで愛国歌を選ぶことは一般的にかなり珍しく、後にジェジュンはこの事をテレビ番組で明かし、司会者を驚かせた。
「僕は愛国歌を歌ったんですよ。」
――本当なの?
「本当です。愛国歌を…(口ずさんで見せる)キーを高くして歌えって指示されたんですよ。それで必要以上にキーを高くして歌ったんです。そうしたら、合格したんです。」
M-net「My Favorite」2008年10月6日放送
練習生生活の開始
オーディションに合格したジェジュンは、練習生としてSMエンターテインメントに入所することとなった。
ジェジュンは最低限の荷物を持ってソウルに上京し、コシウォン(簡易宿泊施設)に住んでアルバイトで生計を立てながら練習生生活をスタートした。
2001年12月頃には、後に東方神起のメンバーとなるユンホとジュンスと出会っていたという。
ジュンスはとても純粋な印象だったし本当に歌がうまくて驚きました。ユンホもダンスが素晴らしくて、カリスマ性がありました。僕は一人でソウルに出てきていて、とても心細かったので、そんな2人に逢えて仲良くなれたことをとてもうれしく思いました。(ジェジュン)
ソニー・マガジンズ『東方神起 Tomorrow-000777days-』2006年
ダンスへの挑戦
オーディションに合格するまで歌を中心に練習してきたジェジュンは、練習生になってから本格的にダンスに取り組み始めた。
(ダンスは)練習生になってからやりました。あんまり…好きじゃなかった、正直(小声で)。(中略)練習生のときに他の人のレベルと合わせるために、もっと努力しました。
雑誌「ARENA37℃ SPECIAL」Vol.30 2007年
経済的な困難
たった一人で上京したジェジュンだったが、家族の手厚いサポートを受けられる環境になかったため、自ら生活費を稼ぎながらレッスンと両立させていく必要があった。
“練習生という時代は先が見えない旅みたいなものでした”( ソニー・マガジンズ『東方神起 Tomorrow-000777days-』2006年より)と語るジェジュンは、当時コシウォンの家賃を払って生活をしていくことに苦労し数多のアルバイトをしていたとされる。
夢を叶えるために上京してきたのに、気付けば、生きるためにあがいていたんです。「僕は一体、何をしているんだ?食べるためじゃない、夢のために上京してきたんだ」と改めて思いました。それからというもの、夢を叶えるために、ここソウルに居続けるために……、本当にありとあらゆることをしました。
書籍『ジェジュン:オン・ザ・ロード』2021年
自分の生活費は自分でなんとかするしかなく、1年半くらいは本当の夢である歌のレッスンやダンスのレッスンに行けないくらいの時期もあったりしたんです。今振り返ってみても、あの頃が僕のターニング・ポイントだったような気がします。でも、つらかったけど一度もあきらめたことはなかったんですよ。
ソニー・マガジンズ『東方神起 Tomorrow-000777days-』2006年
数々のインタビューからは、練習生時代の苦難の記憶がジェジュンの原点となり、デビューしてから現在に至るまでの活動の原動力となっていることが伺える。上記の引用にもあるように、ジェジュンは2006年の時点で既にそれを自覚しており、当時弱冠20歳における自己洞察の深さには驚くばかりである。
書籍
ジェジュンの練習生時代について詳しい書籍はこちら。